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自殺ほう助のスイスは緩和ケアの後進国

「緩和ケア後進国」と私が言っているならば、「お前、何言っているの?」と事情通に怒られるでしょう。しかし私の言葉ではありません。

スイスインフォ(スイス公共放送協会の国際部)という国外向けにスイスのニュースや情報を発信するウェブサイトのニュースタイトルが、下記です。

なぜスイスは緩和ケアの後進国なのか 専門家に聞く

がんなどの病気による体と心の痛みを和らげる緩和ケアにおいて、スイスは後進国だ。病気の根治を目指す治療や救急医療、末期患者の自殺ほう助に関しては高い技術を持つが、緩和ケアに力を入れ出したのはつい最近だ。

とリード文にあります。

死をもって苦痛緩和する手段が早い段階から普及したことは、緩和ケアがすぐに発展しなくても良い状況を用意したのではないか、とすぐに推測されます

ただ他にも

「慢性疾患医療や病と生きる点は、あまり重要視されていなかった。おそらくスイスの医療制度が統一されていないせいだろう。病院は経済主体であり、高齢者施設の介護は大半が保険の適用外のため、自宅で介護する。スイスはホスピスが極めて少ない。人々が期待するのは、病気にかかったら素晴らしい病院で治療すること。例えば国民保健サービスにあるような、病院以外を含む包括的な医療ネットワークでケアするという観点には全く目が向けられなかった」

と複合的な推測される原因が本文中で指摘されています。また、

英国などは30年かけて緩和ケアを強化し、国民に浸透した。スイスは6年前からとかなり遅れた。

とあり、スイスの緩和ケアの強化は2010年頃からであることが記されています。

 

自殺ほう助があるから緩和ケアが浸透しないのか?

上記については、記者がスイスの緩和ケアの専門家に直接的に尋ねています。

「スイス国民に緩和ケアが浸透しないのは、自殺ほう助が広く受け入れられているからでしょうか」

回答は下記。

一般的にはそういう見方なのだろう

ただその後に付け加えられている文言が極めて面白いです。

アジアでは、生の終わりは人生のピークと考え、人生の終盤に差し掛かった高齢者に尊敬のまなざしを向ける。他方、スイスでは、アジアのような死生観は存在しない。

とあり、英文でも確認しました。

In Asia the end of life is regarded the peak of our life and there is a high level of respect for all those people entering the late phase of life. Back in Switzerland it is not regarded as being the best part of your life and is not given the highest level of worth and dignity.

アジアに比べると、終末期が人生の完結期としての価値や尊厳が与えられていないということを述べています。

だからこそ、自殺ほう助に至りやすいという見方なのでしょうか。

終末期の捉え方に差があるとは思っていなかったので、意外な指摘でした。

いずれにせよ、最終手段がある以上、緩和ケアをしなくても……という状況があったことはうかがわれます。

死を想像するとき、多くの人は、スイスの自殺ほう助提供団体「エグジット他のサイトへ」や医師の自殺ほう助をとるか、現代医療で終わりのない苦しみに耐えるかの二択にせまられる。例えばそこに、友人や家族に囲まれ、専門家のサポートの下で尊厳ある死を迎えることができたらどうだろう。緩和ケアは人々に新たな選択肢をもたらしてくれる。

とあり、緩和ケアという選択肢は乏しく、「医師の自殺ほう助をとるか、現代医療で終わりのない苦しみに耐えるかの二択」……という実質一択状態があったことが示唆されています。

それだと確かに、自身の国を「緩和ケアの後進国」と称したのも、自己卑下のしすぎではないのかもしれませんね。

 

自殺願望は病気が末期の時に弱まる

上述の記事中にリンクが貼ってある、下の記事も興味深い内容です。

死を巡る議論―自殺天国のスイス

これは社説です。

患者の意志は最も尊重されるべきだ。それ自体は正しい。この意志ははっきりとクリアーなものでなければならないが、現実はそうとは限らない。ここが緩和ケアの出番だ。過去の経験から、自殺願望は病気が末期の時に弱まる。また患者に知識を授け、寄り添った場合にも、自殺願望は低下する。弱りきった患者が自殺するか否かを一人で判断する必要はない。神学者で牧師のスザンナ・マイヤー・クンツ氏はグラウビュンデン州の地元紙ビュンドナーのインタビューで、このようなプロセスを踏む際には誰かがそばにいるべきだと語った。クンツ氏は、患者が同プロセスにおいて死の決心から解き放たれるさまを何度も目にしたという。これだけではない。頭の中が澄み渡り、心の平安を得ることで、患者の不安は消えるという。

確かに、「自殺願望は病気が末期の時に弱まる」という観察は、もちろん例外もあるものの、誤っていないと思います。

むしろ、まだ死期が迫っていないときや、うつ病になっているときなどに、日本でも多い印象があります。

しばしば、健康人の理解で、「さっさと死ねるような制度を準備してほしい」と自らが終末期になったときを想像して、そう意見表明されます。

けれども、実際にその状況を迎えている方々の心は複雑で、人為的な死一辺倒に向かうものではありません

それをしっかりケアするべき、という趣旨の文章が前述のものですが、これは自殺ほう助が認められていない日本でも同じように行われているものです。

死が迫っているから皆が絶望で心が染められ、他者によって早められる死を誰もが希求しているわけでもないのです。

緩和ケアは万能薬ではない。しかし死を巡るオープンな議論の場を社会に提供してくれる。我々の社会はこの議論に真摯に取り組むとともに、自己決定権についても考えなければならない。スイスでは、自殺ほう助に対してあまりにも肯定的なイメージが持たれている。病気などで他人の手助けなしに何もできない時に死を決意するならば、単に自分で決断して致死量の薬物を飲むよりも、人間らしい生の終え方は存在する。もし、私たちの完全なる自主性に基づいて導き出した最高の生の終え方が自殺であり、それが理想であるなら、スイスは今一度立ち止まって考えなければならない。自殺ほう助が決して当たり前のことになってはならない。

安易に自殺ほう助に走ることへの警句がこのように述べられています。

 

隣の芝生は青い

スイスと日本は離れています。

しかし、2015年の死の質ランキングで、日本は14位、スイスは15位で”お隣”です。

日本では、スイスでの自殺ほう助団体のニュースなどが取り上げられると、インターネットでは「日本もこのような制度を」と異口同音に語られます

けれども一方のスイスでは、公共放送協会のニュースで、「終末期がアジアのように人生の完結期としての価値や尊厳が与えられていない」「単に自分で決断して致死量の薬物を飲むよりも、人間らしい生の終え方は存在する」「もっと緩和ケアを」と振り返りや改善策が示されます。

今後日本でも様々な気運が生じ、あるいはスイスや、ベネルクス三国のような制度が生まれる時が来るかもしれません。

けれども、それで問題が解決するわけではないし、いみじくも先述の社説で「自殺願望は病気が末期の時に弱まる。また患者に知識を授け、寄り添った場合にも、自殺願望は低下する」とあるように、人の心理というのは複雑で、究極の手段があれば救われるわけでもありません

スイスが、より良く生きるための手段である緩和ケアに力を入れ始めているように、日本も本来の緩和ケアを益々充実させることが、制度設立や法整備の如何を問わずに、大切であり続けるでしょう。

 

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About 大津 秀一

緩和医療専門医/緩和クリエーター。数千人の患者さんの緩和ケア、終末期医療に携わり、症状緩和のエキスパートとして活動している。著書や講演活動で、一般に向けて緩和ケアや終末期ケアについてわかりやすくお伝えすることをライフワークとしている。