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医学は日々進歩する
医学は日々進歩します。
10年も経過すると、治療がまるで異なっていることも稀ではありません。
したがって、医師は生涯勉強が必要になります。
専門分野以外はそれでもついていくのが大変です。
勉強し続けないと、すぐに情報が古くなってしまいます。
現場も日々変革している
先駆的な大病院の現場も、日進月歩です。
「無益な延命」
様々なところで使用されるその言葉ですが、少なくとも私が勤務していた大病院では、無理やり延命しようというケースはかなり少なくなっていました。
むしろ若手医師は、適度に治療をダウンサイジングすることにためらいなく、結果的に苦痛少ない治療が実現できていることがよくありました。
いずれにせよ、世間でしばしば言われているような「何でもかんでも延命」という治療は少しずつ過去に移行しているのではないかと感じていました。
鎮静に関しても、まだ論者によっては誤解からの発信がある
これまで何度か、末期がんの諸症状に関しては述べてきました。
末期ガン最後の症状や余命1ヶ月の症状と緩和ケアにおける対策は? 末期なのに早期緩和ケアとは
【緩和ケア医解説】末期がん余命1ヶ月の症状は? 代表的なもの3つ
現場からのこのような発信がぜひ、広く伝わってほしいと思っています。
がんなどの病気で、余命が残りわずかとなった際に、人はせん妄(不良な全身状態を背景に、意識変容や混濁が起き、混乱や興奮などが認められること)などから身の置き所のない様相をしばしば呈します。
その際に有効な手段が、うとうとと眠る薬剤を用いて症状緩和を行う「鎮静」です。
薬剤としては特別なものではなく、胃カメラを眠って行う際などに使用される薬剤と同じものです。
「鎮静」は世界的にも有効な最終末期の緩和手段として捉えられています。
しかし、鎮静に対して語る論者が、以前の理解に基づく内容だったり、誤解を招く表現だったりで発信するというケースは時々あります。
むしろ、こと終末期医療やケアに関しては、経験年数が多い(平たく言えば年長の)医師のほうが信頼度が高いことから、大手メディアが取材して記事になるのも、このような医師に取材して、ということはしばしばあります。
なかなか正確な情報が広まらないことに忸怩たる思いです。
手を尽くした末に、この手段を考慮する
症状緩和に当たる医師は、何もむやみやたらと眠らせているわけではありません。
医療用麻薬が、意識を低下させずに苦痛緩和を行えるように、緩和ケアの本道は、「意識を低下させずに苦痛を取ること」です。
しかし、余命が数日となった際の、身の置き所のなさに対しては、モルヒネなどの医療用麻薬は効きませんし、奏効する薬剤はありません。
余命が時間の単位になれば、自然に意識は低下します。
けれども、それまでが患者さんにとってはつらい時間です。
その時に、様々な「意識を低下させずに苦痛を緩和する」手段をこうじた上で、それが無効なことを確認し、鎮静が考慮されます。
なお鎮静を考慮する条件の一つに、上記の「考えられる緩和策の非有効」が含まれています。
緩和ケア医が入っているということは、むしろ安易な鎮静は少ない
鎮静について詳しいのが緩和ケア医です。
では安易に鎮静をしているのか、というと断じて異なります。
なぜならば、緩和ケアの担当者は、緩和の引き出しを多く持っています。
それらを行い、検討した上で、有効な手段がないと判断され、鎮静が検討されるのです。
逆に、担当医が鎮静適応と判断しても、総合的に考えて「まだ鎮静は早く、他にできる手段があるだろう」と反対意見を述べることもあります。
実際にそうして鎮静を行わずに別の手段で対応し、結果的に良い時間を長く送れるようになり、判断が正しかったということもよくありました。
何でもかんでも眠らせれば良いというものではないを知っているのが緩和ケア医
もちろん、意識が最後まで清明に保てるならばそれに越したことはありません。
しかし人の死の現実は、やはり最後は意識が混濁する、というものです。
そしてまた、意識レベルがある程度あっても、不良な全身状態やそれが引き起こすせん妄により、逆に苦しいということがあります。
それらに対して、十分「意識を低下させない」策を行った上で、最後に検討されるのが鎮静なのです。
したがって、何でもかんでも眠らせてしまう、というものではないので、ご心配なさらないでください。
鎮静の習熟度や理解は大きな差があります。
個人的意見としては、私自身が終末期を迎えた場合は、鎮静を適切なタイミングに行ってくれる医師(鎮静の誤解がなく”絶対しない”などを言わない)に最後を診てもらいたいと思います。
それでないと、最期の穏やかな時間が確実には保証されないからです。
本記事が少しでも皆さんのご参考になれば幸いです。