末期がんで眠らせる
このブログで再三触れておりますように、最終末期になると、終末期せん妄が出現してきます。
身の置き所がない様態で、顔をしかめ、身体を動かされる方もいます。
「ではモルヒネを使えば良いじゃないか?」
と思われた皆さんは、ぜひ読んで頂けたらと思います。
モルヒネの幻想
医療用麻薬、特にモルヒネに関しては、未だに誤解が多いです。
誤解の数々に関してはまた改めて説明したいと思いますが、今回の話に関係することとしては、①末期に、②命と引き換えに、③意識を低下させて、緩和する薬剤という誤解があるでしょう。
④モルヒネ安楽死、というような誤解もあり、実際にある識者がそのような言葉を使われたこともあります。
それぞれの項目を説明しますと、
① 末期に→早期でも必要ならば用いる。
② 命と引き換えに→命は縮めません。命を短縮させて苦痛を緩和する薬ではありません。
③ 意識を低下させて→モルヒネは意識を低下させる作用は、実は弱いです。モルヒネなどの医療用麻薬は鎮「痛」薬です。意識を低下させる薬剤としてはふさわしくありません。鎮「静」薬というより適切な薬剤があります。
④ モルヒネ安楽死→この言葉はいろいろな意味で誤っていて、命を短くさせないし、それがモルヒネ使用の目的でもありません。
未だに、「がんの末期なのだからモルヒネで楽にさせれば良いじゃないか」とか、「末期がんの最後はモルヒネでもうろうとさせて、命と引き換えに楽にする」などの言葉が、インターネット等でも散見されます。
もちろん一般の方が、伝聞等で誤情報を信じてしまうのはやむを得ないところもあるかもしれませんが、モルヒネは終末期の特効薬たりえないということは知っておかれると良いでしょう。
末期で眠らせるためにモルヒネをどんどん増やしてください、で招くもの
モルヒネなどの医療用麻薬は意識を低下させる作用が弱いことは説明しました。
意識を低下させる前に、眠気が出ます。それでも濃度を上げてゆく(投与する量を増やしてゆく)と、意識が低下しますが、さらに濃度を上げると呼吸の抑制も出現します。
なお、通常の鎮痛治療においては、眠気がある程度以上強くなればそれ以上増やさない(し、飲めない)ので、呼吸抑制が出現することは稀であり、心配は要りません。
また終末期は、せん妄が高確率で出現しますが、医療用麻薬はせん妄に対してマイナスに(悪化傾向に)働くことがあります。
それなので、むやみやたらと増やすと、逆にせん妄を悪化させ、見た目の苦しさが増えることもあるのです。
そのため、「モルヒネ(あるいは医療用麻薬)を増やして眠らせて楽にしてください」とお願いするのは逆効果になる可能性もあるため、止めたほうが良いでしょう。
一方で、痛みを放置することもせん妄の悪化に関係するので、この時期の患者さんの担当医は綱渡りのぎりぎり感を自覚しながら、薬剤調整に当たっています。
昔は、モルヒネを鎮「静」に使うという誤解がありましたが、上記のように、眠らせる薬剤としてはモルヒネなどの医療用麻薬は不適格です。そこで使用を検討されるのが、ミダゾラム(商品名ドルミカム)といった鎮「静」薬です。
末期がんで眠ら「される」
時に、末期がんで眠ら「される」というような言葉も見聞きすることがあります。
眠ら「される」というと、どこか無理やり眠らされてしまっているようですね。
実際、患者さんのご家族も(この時期、患者さんは終末期せん妄で意識がもうろうとしており自分の意思を表示できないこともままあり、ご家族が代理決断されることも多いです)、「眠らせないでほしい」という願いを示されることもあります。
もちろん、最後まで意識がはっきりしているならば、無理に眠らせる必要などないでしょう。
なぜ眠ったほうが良い(こともある)のか、その前提が共有されていないと、なぜ眠らせる薬剤を使われてしまうのか、と疑問に思われるのも当然です。
理想は、最後まで意識がはっきり、コミュニケーションばっちりです。
しかし残念なことですが、人の終末期はそうはできていません。
述べてきたように、身体状態の低下は、脳の機能に影響を与えて、人はせん妄状態になります。
すると意識は混濁するのがむしろ「普通」です。
混濁するだけならばまだましなのですが、中には混乱や興奮したり、身の置き所がない様態で苦しまれたり、せん妄が原因で痛み(の幻想とも言えるかもしれません)を自覚されてやはり苦しまれるというケースもあります。
実態のある痛みではないので、しばしば医療用麻薬も無効です。
むしろ痛みだと信じすぎて、医療用麻薬を愚直に増やしすぎると、余計に苦痛症状を悪化させるかもしれません。
……というような患者さんの状態、という前提があります。
すなわち、もし医療用麻薬を使っていなくても、意識は混濁しており、正常なコミュニケーションが難しい時期(多くは余命数日単位)という前提がそこにあるのです。
無理に眠らせたい医療者はいないでしょう。
耐え難い苦しみがあって、それは余命が残り少ないための全身状態から来ていて、正常なコミュニケーションはたとえ薬剤を用いていなくても難しい。
そのような状況において、苦痛が通常の手段では緩和できない。だからこそ、症状緩和のために、うとうとと眠って苦痛を緩和する手段はどうか、ということで鎮静は提案されるのです。
本邦から生命の短縮は有意に認めなかったと研究が発表される
無理やり眠らせる、ということはなく、推測される余命が少なく、せん妄から正常なコミュニケーションは難しく、また苦痛が強い、しかも既存の緩和策が無効、だからこそ鎮静が提案されるということ、ご理解頂けましたでしょうか。
ではこの鎮静薬こそ「最後の手段」なのかというと、これもまた死をもって苦痛を終わらせるという意味での最後の手段ではありません。
死をもって苦痛を終わらせるために致死性の薬剤を医師が投与することを安楽死と呼称しますが、鎮静は死をもって苦痛を終わらせる意図ではなく、うとうとと眠ることで苦痛が緩和されて、自然な最後を迎えることを意図しています。
本邦由来の研究でも、命の長さは鎮静群と非鎮静群で意味のある差がなかったことが示されています。
多くの事例で、適切な時期に鎮静を行えば、甚大な苦痛少なく最後の時間を迎えることができます。
末期がんで眠らせる、とひと口に言いますが、眠らないで苦痛が緩和される手段が十分模索され、それでも苦痛が難しい状況かつ余命がごく短いと推測される状況において、眠る手段を提案される―という極めて繊細で慎重なプロセスをたどっているということを知って頂ければありがたいです。
患者さんもご家族も、理想は、このような時のことまで医師と十分話し合っておかれることです。
私もかつて60代の肺がんの女性で、事前に、自ら最後の時間のことをお尋ねになり、鎮静についてよく理解され、余命が差し迫った時、まさしく適時に鎮静を希望された患者さんを知っています。
患者さんはご家族の皆さんを前に、亡くなる1日前、「これから先生に意識を低下させる薬剤を使ってもらおうと思います。それで良いわよね?」と一人ひとりの顔を見て、語りかけました。
ご家族がこの決断に同意したという瞬間を持つことで、死後、ご家族に悔いが残らないようにするということまで見据えた彼女の気遣いでした。
なかなか彼女のようにはいきませんが、かなり時間が経過した今も、彼女の表情や一人ひとりをみやった視線を忘れることはありません。
眠らせる、というと何かしら乱暴な、他力的な響きですが、このように末期がんでも自ら希望して最後を眠って苦痛を和らげてその時を迎える方もいます。
日本では安楽死がないということにフォーカスした言論もしばしば認められますが、がんを患う方の場合は、鎮静があるので相当カバーされるところもあるのだということはもっと知られて良いと思います。
ただし、がん以外の病気や、がんでも実存的苦痛が著しい場合等に、患者さんが強く安楽死を希望される例もあることは事実であり、確かにこれは一般的な緩和ケアや鎮静では解決することはしばしば困難です。
今後も議論が進められてゆく必要はあるでしょう。